当たり前をぐにゃぐにゃに溶かすような体験が変身の第一歩
”当たり前を溶かすことこそ
スリリングな変身の第一歩”
↑本日は、こちらをテーマにブログを書いていきますね。
先日の土曜日は
時折参加している社会人サークルの読書会が行われました♪
↓先日の会にて、各自持ち寄った本の面々がこちら
↓前々回参加のときの本がこちら
本一つとっても
選び方や読み方は人それぞれに特性があり、
また、自分自身が読んだ本を相手に紹介したとき
受け手は自分とはまた違った視点から質問を投げかけてくれる。
そういった刺激がとても面白くて魅了的なのが読書会^^
「そういえば、考えてみればそうだよね・・・」
と思うような発見があり、
しっかり読んだと感じている本の”平面的な部分”しか
自分はまだ見ていないんだということが分かってきます。
”死角となっている部分は、見落としていている。”
上記の流れがきっかけとなり、
今回のテーマに辿り着いたわけなのです。
さて皆さん、
大阪の万博記念公園にある岡本太郎作の「太陽の塔」
はご存知ですよね?
もし、
「太陽の塔に顔がいくつあるか知っていますか?」
と質問されたとしたら
いくつと答えますか??
面白いことに
多くの方が同じ答えを返すといわれています
「二つです」
と。
てっぺんの金色の小さな顔
と
胴体の中央にある大きな顔
の二つですね。
しかし
実際には、太陽の塔には三つの顔があります。
最初の二つに加えて、
背中側にも「黒い太陽」と呼ばれるちょっと不気味な顔がある。
これは伊藤亜紗さんという美学、現代アートを専門にされている方が書かれた著書「目の見えない人は世界をどう見ているのか」にて紹介されているとても興味深い内容から取り上げたもの。
視覚を使うことが可能な見える人にとって
万博公園入口の方向から見た姿こそが太陽の塔だということ。
つまり、その視点に縛られてしまうので
裏側の顔のことは気づきにくい。
これは太陽の塔の知識があらかじめにない状態でみたとして仮定してくださいね。
”視界に入らないことというのは、軽んじられ、忘れられる”
と。
見える人にとっては顔は正面にあるものと相場が決まっているようです。
まさか、背中にも顔があるなんて
ですね。
模型で太陽の塔を理解している視覚に障害のある方が同じ質問をされた場合
こうした誤認は起きにくいのです。
模型の場合は、すべての面をまんべんなく触ることができるため
特定の視点に縛られることはないのです。
太陽の塔をそのまま”立体的”にとらえています。
死角というものが存在しないのです。
見ようとすると見えない場所が生まれる死角
からの自由です。
自分の立ち位置が見る主観にとらわれない、
俯瞰的で抽象的なとらえ方をしています。
物事の在り方を
「自分にとってどう見えるか?」
ではなく
「各々の関係が客観的にどうなっているか?」
で把握しようとします。
客観性が3D的な理解を可能にしているのです。
そして、もう一つ。
背面にある黒い太陽は
裏側の顔ともいわれているのですが、
反対に腹面を正面だと捉えていることにも実は疑問があるのです。
なぜか?
見えている世界にとって
空間や面には価値のヒエラルキー、
いわゆる序列がダイレクトに表れている。
「これこそが正しい面だ」
みたいに。
それで流れからして
反対側は裏面となる。
先天的に見えていない人にとって
こうした表裏にヒエラルキーをつけることはありません。
全ての面を対等に見ているので
表は裏だし、裏は表
のように区別はありません。
”目にみえるものだけが真実とは限らない”
とはこういうことなのですね。
すべての面、すべての点を等しく感じることは
視点にとらわれてしまう見える人にとってはとても難しいこと。
いかに視覚を通して理解された空間や立体物が平面化されたものであるか
ということが分かってきます。
このことを通じていったい何を伝えたいかといいますと、
その服が自分に似合うか似合わないか?
というものは、特定の視点からだけでは容易に判断できない
ということです。
例えば、体型でいいますと
二の腕が気になるからこんな服を着ればいい
や
ふくらはぎが太いからスカートをはいて脚はださないほうがいい
など。
体型というのは身体全体のシルエットや質感、身幅など総合で構成されるものだということ
そして骨格診断というものは、まさにその全体像を把握したものを示しているということ。
さらに顔でいいますと
ツリ目だからきつい顔
垂れ目だから甘い顔
鼻がスッとしているからキレイ系
鼻が小さいから可愛い系
という単純なものではありません。
こちらも顔全体の配置バランスや骨格の特徴、肌の色味や質感など
総合で判断されるのです。
だとすると
〇顔
〇骨格診断
〇カラー
の内、どこか一点にフォーカスしただけで似合う服はこれ!と言えるかどうかは疑問ですよね。
先程のように見えているもの
自分の立ち位置から見る主観からの診断なのかもしれないですから。
顔にフォーカスしやすい人は顔に似合うか似合わないかで判断するでしょうし、
色にこだわる人であれば、カラーだけで合う合わないを決めてしまうでしょう。
さらには、自身で脚が太いと感じているひとであれば、スカートをはいた方が相対的に脚が細く見えるとしてもパンツのほうが脚の太さが目立たないと判断するでしょう。
さて、これら当たり前と普段感じていることは
果たして本当にそうなのでしょうか?
それぞれの事柄は、自分から見た視点と客観的に見た視点との両方から判断したものですか?
もし、片方から見たもので判断していたとしたら
そのことが変わり映えしない着こなしや漠然としたファッションの悩みを招いているのかもしれません。
この普段当たり前と感じていることを
ぐにゃぐにゃになるまで溶かすことが
いつもより素敵な着こなしにを叶える一歩になるのでしょう(^^)
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